アルゼンチンコスキンフェスティバル
いよいよ本場アルゼンチンのコスキンフェスティバルの開幕が近づいてきました。
日本代表のTAKUYA&YOSHIO氏は19日に日本をたつ予定です。出演は現地時間の21日に決まりました。
日本の多くの代表として精一杯演奏をしてきてほしいと思います。
プログラムが掲載されておりますので見てください。
http://www.aquicosquin.org/#!programacion-lunas/c1deb
溝口氏よりコスキンフェスティバル出場についての報告書が届いておりますので掲載いたします。
アルゼンチン共和国コスキン市「コスキンフェスティバル」出場について
溝口 祥夫
本年1月22日にアルゼンチン共和国コスキン市で開催される「コスキンフェスティバル」に日本代表として出演することとなりましたので次のとおりご報告いたします。
1 コスキンフェスティバルの概要
(1)アルゼンチン共和国コスキン市と「コスキンフェスティバル」
コスキン市はアルゼンチン北西部コルドバ州の北に位置する避暑地。ブエノスアイレスに次ぐアルゼンチン第2の都市、州都コルドバから北西へ50kmほど。
コスキンフェスティバルは、南半球の夏に当たる1月下旬、約10日間にわたって行われる中南米でも最大規模(観客10万人以上)の国民音楽祭の名称である。
(2)コスキン・エン・ハポン
コスキン |
福島県川俣町で毎年10月に開催されるフォルクローレ音楽祭。プロ・アマ問わず全国の愛好家が集い3日間にわたり開催される。アルゼンチン共和国の同上音楽祭にちなんで名付けられた。
この音楽祭の期間中にコスキンフェスティバル日本支部(コスキン市長令に基づき川俣町が設置。支部長:古川道郎川俣町長)が主催する「アルゼンチン共和国コスキンフェスティバル日本代表審査会」が行われ、代表に選出されたグループがコスキンフェスティバルに出場する。
(3)フォルクローレ
南米アンデス山脈に住む先住民を中心に伝わる民族音楽およびその影響を受けた音楽の総称で、尺八に似た縦笛のケーナ、マンドリンのような十弦小型ギターのチャラン ゴ、打楽器ボンボなどにより、演奏される。日本でも親しまれている「コンドルは飛んでいく」「花祭り」などが代表曲であり、楽器の音色の中に素朴さが漂うメロディが特徴。
(4)「TAKUYA&YOSHIO」のアルゼンチン共和国コスキンフェスティバル出場
2012年10月7日、福島県川俣町でアルゼンチン共和国コスキンフェスティバル日本代表審査会があり、「TAKUYA&YOSHIO」が選出され、古川道郎町長より日本代表の認定証が授与された。審査会へは10 回目の挑戦で悲願の出場権を獲得した。
「TAKUYA&YOSHIO」は2013年1月22日(現地時間)、アルゼンチン共和国のコスキンフェスティバルに日本代表として出場する。(日本出発:1月19日、帰国:1月27日予定)
2 「TAKUYA&YOSHIO」について
「TAKUYA&YOSHIO」は、梶川拓也(1969年生・日進市在住)と溝口祥夫(1969年生・千葉県船橋市出身・在住)からなるフォルクローレデュオ。
1988年、大学入学と同時にフォルクローレサークル「東京大学民族音楽愛好会」に所属し演奏活動を始め、1991年に2人組の同グループを結成した。
YOSHIOは卒業後、新聞社、教育グループ企業勤務などを経て現在は資格予備校に勤務。船橋市に35年以上在住。
<主な活動>
・1991年「ラテンフェスティバルINリトルワールド」(愛知県犬山市)で熱演賞
・1992年「コスキン・エン・ハポン」において参加100チーム以上の中から12チームの「セレクションビデオ」に収録。この年より連続参加し、「広報かわまた」H18年11月号に「ユニークで人気があるチーム」と写真つきで紹介、またH23年9月号ではコスキン告知記事で紹介されるなど、同音楽祭でのパフォーマンスにより全国レベルの知名度を得る
「H23.9広報かわまた」より |
・千葉県船橋市葛飾公民館で年1回コンサートを1991.12~2008.2まで、17年間実施し、延べ動員1500人を超える実績を残すほか、船橋市三咲公民館、船橋市中央公民館、緑台町会(コンサートが船橋習志野CATVで放映される)での演奏など
・静岡県、京都市、岡山市などでイベントへの参加、コンサートの主催など 以 上
<コスキンフェスティバル参加にあたって>
日本代表選出にあたって、古川道郎・川俣町長から「広報かわまた」に次のような激励のお言葉を頂戴いたしましたのでご紹介いたします。
~「広報かわまた」H24年11月号p.23より~
このような大変名誉な機会を得ることができたのですが、それ以上にうれしかったのは、川俣町の方々との絆が深まったことです。私どもは、20年以上前から福島県川俣町で開かれるこの音楽祭に参加し、町の方々と交流させていただいておりますが、今回の選出で町の方々からも多数、祝福の言葉を頂戴しましたのが何よりの喜びでした。
3.11以降、特に相方の梶川は電力会社の社員であるため避難区域を持つ川俣町が直面している状況、さらに日進市民として花火大会の出来事に直面し心を痛めていました。また私・溝口も川俣町、そして福島の震災後の状況にいてもたってもいられない思いを味わい、2011/5/1にまだ落ち着きがない状況で齋藤寛幸・コスキン・エン・ハポン実行委員長に会いに川俣町へ行きコスキン実施の可能性について話し合うのみならず、2011/10/30に福島市の除染プロジェクト調査を手伝う形で福島市大波地区での除染を手伝ったりしました。
福島、川俣町のこのような状況の中、震災前と変わらず迎えていただき、それだけでなく、このような名誉を与えていただいた町の方々に対して、感謝の念に堪えません。この思いを胸に、日本代表として、精一杯、アルゼンチンで演奏してきたいと思っております。
一日も早い復旧・復興を願っております。
平成25年1月12日
溝口 祥夫